フリーペーパー ラヴィアンローズ 世田谷百景より

何気ない表題.jpg

| HOME | 世田谷百景より | 世田谷百景より |

更新日 2008-06-05 | 作成日 2007-10-23

世田谷百景より ~何気ない情景~

世田谷百景

ボロ市と代官屋敷 世田谷1-29-18

毎年12月・1月の15日、16日に立つボロ市。400年以上経過する
このボロ市の開催される通りに世田谷の代官屋敷はある。
以前、弊誌「武家屋敷門」の特集でも取り上げたこの大場家の屋敷は
世田谷区の由来や歴史を知る上で、必見のスポットである。

世田谷百景

岡本3丁目の坂道 岡本3-27付近

国土交通省関東地方整備局が2004年に関東地方で実際に富士山への良好な眺望を得られる地点として選んだ「関東の富士見百景」。
別名「東京富士見坂」と呼ばれるこの坂の名はここから付いた。
天気が良く空気が澄んだ日には、遠く富士山まで見る事が出来、夜は夜景スポットの名所に早変わり。
傾斜が22%あり、かなり急な坂道となっている。

世田谷百景

岡本玉川幼稚園と水神橋 岡本3-35-10

玉川幼稚園の建物は二・二六事件で暗殺された蔵相高橋是清(これきよ)の別邸だったもので、山荘風の構えが見所だったが現在は
取り壊された。今回は水神橋にスポットを当てる。開発がかなり進んでしまったとはいえ、昭和の田園風景の面影がかすかに残る。

世田谷百景

岡本静嘉堂文庫 岡本2-23-1

三菱財閥の二代目・岩崎弥之助が収集した日本や中国の貴重な古典籍を保存・研究者に公開することを目的として、弥之助の嫡男、
四代目の岩崎小弥太によって建築された英国風の建築は一見。庭園にある納骨堂は明治の洋館建築に多大な影響を与えた
ジョサイア・コンドルの設計。旧三菱財閥の岩崎家が所有する庭園だった歴史もあり、広い園内には貴重な自然が残されている。
ちなみに、静嘉堂の名称は『詩経』の句から採った弥之助の堂号。

世田谷百景

岡本民家園とその一帯 岡本2-19-1

茅葺きの民家と白壁の土蔵が特徴的な民家園は、瀬田に残されていた江戸時代の建築物を移築して、当時の農家の様子を復元したもの。
村の民政を行っていた村方三役の一つ、百姓代を勤めていた家だったらしく、農家としてはかなり立派な建物だ。当時の暮らしぶりを
そのまま再現した敷地内には、囲炉裏や昔ながらの脱穀機、かまど、つるべ井戸などがある。世田谷は今でも農家が多いが、自然なままの
雑木林と併せて牧歌的な印象を受けた。

世田谷百景

喜多見慶元寺界隈 喜多見4-17-1

千年近い歴史を持つ慶元寺。江戸氏の祖を弔って建立された。
江戸氏は皇居のあたりに居を構えていたが14~15世紀の関東地方の騒乱で没落し、喜多見地域に逃れて喜多見氏を名乗るようになった。
その喜多見氏の菩提寺となったのがこの慶元寺である。現存する区内寺院の本堂では最古の建造物。墓地には江戸氏喜多見氏の墓があり、
本堂には一族の霊牌や開基江戸太郎重長と寺記に記されている木造が安置されている。静寂な雰囲気が心地良い。

世田谷百景

喜多見氷川神社と寿善寺跡 喜多見4-26-1

世田谷区の無形民族文化財にも指定されている鬼やらいの神事が開催される、喜多見氷川神社。天平十二年(七四〇)の創建と伝えられている

保存樹林地となっているだけに野鳥も多く、取材時に沢山の囀りに耳を傾ける事が出来た。

世田谷百景

砧ファミリーパーク 砧公園1-1

紀元2600年記念事業(昭和10年:1935年)として都市計画決定された大緑地。戦中は防空緑地。戦後は都営ゴルフ場であった
この場所は日比谷公園の約2倍(391,262㎡)もの広大な園内として、区民に広く知られる。桜の名所としても有名で、春は花見客でごった返す。
駐車場も完備し、また近隣の用賀駅からの歩道も整備されていることから来場者が非常に多く、人気のスポットとなっている。

世田谷百景

玉川台自然観察の森 玉川台2-30

環八沿い、通称「アメリカ村」と呼ばれた、用賀インターの東側にある、玉川台自然観察の森。昭和50年代は地元の小学生達に
心霊スポットと恐れられたこの場所は、あれから30年たった今も全く変わらない様相を呈している。排気ガスや騒音で溢れかえる
環八を一本入った所にある自然は、地元の財産とも言えよう。

世田谷百景

世田谷観音とその一帯 下馬4-9-4

弊誌「武家屋敷門」でも紹介した観音寺。京都の六角堂を模した不動堂には、運慶の孫、康円の作といわれる
国の重要文化財の不動明王と八大童子が納められている。旧小田原代官屋敷はやはり見物。江戸33観音の1つ。
正面の仁王門で、鳴き龍に手を鳴らしてみては・・

世田谷百景

世田谷公園 池尻1-5-27

1965年に東京都から世田谷区に移管された後、 施 設の老朽化に伴う改修に当たりその構想を一般募集。
それを基に改修を行い1974年に再開園した公園。 園内には、噴水広場のほか、ミニSLが走っている。
実機のSLも展示されている。噴水広場の脇にある小高い丘からは眺めが良い。取材時は草花が咲き乱れていた。

世田谷百景

太子堂圓泉寺とけやき並木 太子堂3-30-3

太子堂という地名は1611年(慶長16年)についたが、その由来はここ真言宗圓泉寺に聖徳太子像をまつるお堂が
あったこと(焼失)にちなんでいる。
明治4年境内に「郷学所」が設けられ、世田谷の教育発祥の地となった所でもある。まさしく「寺子屋」である。
エノキの大木の並木は農村だった区内随所に見られた屋敷林の名残。

世田谷百景

代沢の住宅街  代沢 3-20

アンゴラ大使館がある閑静な高級住宅街。低層の大きなマンションが敷地をゆったりと使った形で立ち並ぶ。
公示地価額が区内一位だったこともあるエリア。関東大震災後の区画整理で誕生した街並で高官や著名人が戦前から住んでいた。

世田谷百景

代沢阿川家の門 代沢3-9-16

江戸時代に代沢の名主だった阿川家の屋敷跡に、現在は門だけが現存。母屋も昔の名主屋敷の遺構を残す。
住宅街にいきなり現れる真っ赤な門は異様にすら感じられる。門を遮るように大木があるのだか、昔からこの位置だったのだろうか。

世田谷百景

大山道と池尻稲荷 池尻2-34-15

「涸れずの井戸」として知られる。江戸市中を発った旅人は道筋ここまで飲み水がなく、この井戸で喉を潤したと伝えられている。
池尻稲荷の境内には、いまだにこの井戸があり、「涸れずの井戸」は健在である。

世田谷百景

大蔵の総合運動場 大蔵4-6-1

都立砧公園に隣接する運動公園。広い公園の中に、体育館・陸上競技場・野球場・テニスコート・洋弓場・温水プールなど、さまざまな競技施設が整う。
近代的な体育館と噴水が象徴的。フィールド・アスレチックコースもあり、子ども達に人気が高い。祝日は大勢のスポーツ愛好者で賑わいを見せる。

世田谷百景

淡島の灸の森巌寺 代沢3-27-1

新鮮な青木の青葉を使って治療するという事で古くから大勢の人たちが訪れた森巌寺。このお灸は熱い事で有名で
当時の若者達はお灸の跡を見せながら我慢強さを自慢し合ったという。
江戸時代の始め、徳川家康の次男・結城秀康公の位牌所として建立された。建物には三葉葵の紋所が見られる。
寺の名は秀康の法名から森巌寺と名付けられた。

世田谷百景

東名高速の橋 大蔵の総合運動場脇

大蔵総合運動場と砧公園の脇、岡本方面に抜ける道が東名高速を横切っている。取材は昼行ったが、夕刻を過ぎるとここからの景色は
圧巻である。日本の大動脈ともいうべき東名高速の一端を感じる事が出来る。

世田谷百景

等々力渓谷と等々力不動 等々力1-21-39

弊誌「等々力渓谷」の特集でもお伝えしたように、都内である事を忘れてしまう程、完全なる渓谷である。等々力の名の元となった
「轟く」滝の音は今はないが、細々とした滝が2~3本流れているのを確認できる。古墳や不動尊もあり、この季節は桜の名所としても知られている。

世田谷百景

梅と桜の羽根木公園 代田4-38

先月、弊誌「せたがや梅まつり」にて特集した。羽根木公園は梅の名所として知られているが、桜の名所でもある。以前は六郎治山とか根津山と
呼ばれていた山を切り開いて作られた公園は、2月から4月上旬にかけて、花見客でごった返す。5年計画で再整備を行っているが、
今年は野球場の再整備も終わり、地域や学生の練習風景を覗く事が出来そうだ。